教員・教師とは。

教員・教師とは。

 

本日はこれ!

 

以前

オレが恩師と慕う人が言った言葉がある

「体育人なら部活を一生懸命やるべきだ」

「部活を一生懸命やらない奴は体育人じゃねぇ」

 

 

この意味の深さはわからなかったし

深い意味で言ったんじゃないと思うけど

 

最近この言葉が脳裏に住み着く。

 

 

 

我々体育教員免許を持った人間たちは

勿論のことながら「数学」を教えることはない。

ましてや英語も。

 

つまりは

実技と保健しか教えられないんだ。

しかも

彼らの選択の範疇で考えれば

入試には全くもって関係ない部分だ。

体育学部であれば実技は必要なところもあるが

腹筋、ボール投げ、シャトルラン、など

体育の授業関係ねぇ(爆笑)

 

 

ってことはですよ

我々体育教員は授業以外に何かを見出さなければ

彼らの人生を左右するほどの影響は与えられないってこと。

 

勘違いして欲しくないのは

人生に関与しなくたっていいんだ。

ただ、いる意味を考えたときに

なんのためにそこに存在しているのかは不明確になる。

 

なぜ教員に?

 

 

英語の教師が

英語を極め、生徒のレベルアップのために

試行錯誤を繰り返し

日々の時間をそこに費やしてる姿は

見ている方もパワーをもらえる。

 

その心意気は非常に素敵だ。

 

では体育は?

 

その努力は

ピッチで見せるべきだ。

 

人生を左右するなんて大きなことは言えないが

そいつの心揺さぶるくらい熱い想いは必要になるだろう。

 

数々の教員たちが授業準備をしている中

我々は外へ出て熱を注ぐのだ。

外へ出て魂に訴えかけるのだ。

 

それは学びだ。

教室で聞いている学びとなんら変わりはない。

だから

体育人と言い放った恩師たちは

そこに確かなプライドを持っていたんだ。

 

そこに気づけたことはでかい。

 

そのプライドは

我々が最低限持ち合わせていなければいけないものだから。

 

人生をしっかり歩ませるためにも

座学で学び

ピッチで学ばなければならない。

 

大人の本気に触れさせ

大人の生き様をさらけ出してこそ

彼らの胸は踊るんだ。

 

 

貫いてやる。

オレのプライドは

継ぎ足されたタレのように

味は変わらぬまま

進化し続ける。

 

あるべき姿を

目に焼き付けさせる。

 

俺たちの大きな大きな仕事だと思う。

 

迷うことなかれ

この生き方は我々にしかできないのだから。

 

 

 

 

 

 

では

また。