学ばない恐ろしさ。

学ばない恐ろしさ。

 

それはそれは恐ろしい光景だった。

 

どの理論からその答えになる?

 

オレの目の前はカオスだった。

 

 

 

 

経験値から導き出される

「答え」

「勘」

捉えられることもある。

が、

経験が理論に化けた瞬間である。

 

もちろんそれで失敗したら叩かれるんだろうが

その人の培ってきたものがあるのなら

尊重の方向で捉えたいと思う。

 

が、しかし

なんの経験もなく

未知数でしかない事態に対して

どの頭の、どの口が言うのだろうか。

 

勘違いも甚だしい。

 

 

我々は何も知らないのだ。

我々は一つの事に関しての専門家でしかない。

 

我々は教壇に立つことで

人の上に立ったように思い

あたかもなんでも知ってるかのような勘違いに走り

「なんでも知っていそうな大人」に成り代わってしまったのだ。

 

 

未曾有の事態に

懸念しかないこの事態で

リスクをしっかりと知りながら前に進もうとするべきだ。

 

 

懸念事項に対し

理論でも

経験でもない

癒着だらけの脳内で発言することほど醜いものはない。

 

 

残念だよ。

我々がこれでは

一体誰がついて来るというのか。

 

 

学ばなきゃダメだ

自分はもちろんだが

もっと謙虚になれないものか。

「学ばない」ことは

「謙虚さ」をそこいらに置き去りにすることでしかない。

 

 

 

 

我が師

エドゥーは言った。

「人は謙虚でなければならない、しかし私はサッカーにおいて謙虚な気持ちは一切ない」

 

 

これは

彼の自信の表れだ。

これは

彼の努力と経験に打ち出された言葉だ。

そして

謙虚でないわけがない、

謙虚さをわかった上での言葉なんだ。

 

 

 

 

我々は

それくらい自信が持てるのか?

それくらい何かをしてきたのか?

 

コロナ禍において

学校のあり方や授業の方法など

様々なことが議論されているが

人を動かすのは制度でもテクニックでもない

 

人を動かせるのは人だけだ。

 

 

悔しいけど

今の現状はいいものではなかった。

 

 

 

ただ、それを超える仲間がいることも事実。

 

負けないぜ。

 

では

また。